Battersea Dogs & Cats Home

 数日や一週間で処分され、しかもその数、一年間30万匹以上にものぼる日本の施設。ああ、イギリスの犬に生まれてよかったと思うであろう、今や世界各地で理想的な動物保護施設のモデルとされているロンドンの犬猫保護施設です。野良犬、迷い犬、飼い主と住めなくなった犬猫を新たな飼い主が見つかるまで保護する一時預かり場所です。
 多少の例外はありますが(獰猛な犬の増加で安楽死をさせるケース)、バタシー・ドッグス・アンド・キャッツ・ホーム(以下バタシー・ホーム)だけではなく、イギリスの保護センターは、「健康な犬猫は処分しない」をポリシーにしております。バタシー・ホームのほとんどの犬が一ヶ月以内に貰われていきます。今までの最長記録は3年とのこと。
 南西ロンドンにあるバタシー・センターのほか、ケント州、ロンドン郊外のオールド・ウインザーにも施設があり、常時600匹の犬と250匹の猫を保護しています。2009年は一万600匹(うち犬900匹)が保護され、犬約1万匹、猫約3500匹が新しい飼い主のもとへ引き取られます。1860年から受け入れた犬猫の合計は3500万匹を超えるということです。正社員約300人、ボランティア400人、年間1300万ポンド(バタシーのみ)の運営費用はすべて寄付金でまかなわれています。
 さて、そのバタシー・ホームの歴史なのですが、ホームのスピリットをよく伝えていると以前より保管しておりました、ロンドンの情報新聞紙ジャーニーの特集記事「ロンドンの犬たちを救え!!バタシー・ホーム誕生物語」から抜粋したものをご紹介いたします。

以下はジャーニーより抜粋

キッチンの一角から誕生したバタシー・ホーム

 動物愛護の先進国ともいえるイギリスであるが、150年前までは闘犬、闘牛、熊への虐待などのギャンブルにまつわる動物いじめが娯楽として広く普及していた。通りをうろつく飢えた野良犬、餓死する迷い犬などはロンドンの日常的な光景であった。
 1824年上流階級の人々、知識人たちを中心に世界初の動物保護団体RSPCAが設立されたが、1833年に奴隷制度廃止法が制定されたばかりで、人間でさえ満足に守られていないというのに動物を保護するのかと鼻で笑われるのも無理はなかった。
 そんな時代に通りで弱りきった犬を拾ってきては看病する一人の女性がいた。バタシー・ホームの創始者であるマリー・ティルビー未亡人(1801-1865)である。自宅のキッチンに野良犬や虐待された犬たちを連れてきては元気になるまで世話をした。世間の嘲笑や批難にさらされ、幾度となく財政面での危機にも直面し、決して順調にはいかなかった保護施設だが、メアリーは決してあきらめることはなかった。死するまでの最後の数年を施設設立のために全力を尽くして駆け抜ける。その執念と情熱。そして何よりも犬たちへの深い愛情なしには達成できない、60歳を目前にした「大チャレンジ」であった。
 しかし問題は山積みである。「犬がうるさい」という近所からの苦情はもちろん、何より大きいのは資金不足であった。どんなに愛情や情熱があっても施設の維持費、餌代、薬代、運搬費など多額な資金がかさむ。誰かからの援助がなければ到底継続できない事業だった。
 しかし、ただの犬好きの女性による夢にすぎなかったかというとそうではなかった。彼女の思い切った試みは時代の波に乗りつつあった。
 まずはRSPCAの働きにより動物愛護の動きが盛んになっていたこと。ダーウィンの「種の起源」の中での犬に関するエピソードが話題になり、世界初のドッグショーの開催などが後押しをしてくれた。さらにフローレンス・ナイチンゲールの人道的な働きにより、チャリティ活動の精神が国中に広がったのである。メアリーたちは街頭に立って寄付金を募ったり、貴族、聖職者、資産家、名土などの要職者を紹介してもらい寄付を集めていった。そしRSPCAが寄付金受付の窓口となり、助言も与えてくれたのである。

タイムズ紙からの批難

 ホーム存続に必要なものは、資金はもちろんのことだが、多くの人々にその存在を認めてもらうことであった。そこでメアリーはホームの設立趣意書を発行する。「いかなる状態の犬も保護する」「彼らを必要とし、世話ができる人々がいれば受け渡しを行う」など現在に続くホームの基本姿勢が見られる。
 これを好意的にとる媒体もいたし、さげすむ媒体もいた。しかし最もホームにとって大打撃となったのはタイムズ紙に「ばかげた感傷趣味」と辛らつにめった切りにされたことである。同紙は英国で最も影響力をもっていた新聞であったため、世間の風当たりは益々強くなった。
 もちろんメアリーはひるまなかった。「Home For Lost And Starving Dogs」という名称で保護施設をビジネスとしてスタートさせるが、資金を持ち逃げされたり、大家から立ち退きを要求されたりと、休む暇はなかった。

救世主ディケンズ

 そのような中、ホームの歴史に神風を吹きこんだのが当時英国のみならず英語圏で最も売れっ子作家であったチャールズ・ディケンズであった。愛犬家として知られるディケンズはホームを訪れ、献身的なスタッフをねぎらい、施設存続の意義を称える記事を掲載した。そしてその記事は大きな反響を呼んだのである。「ディケンズが認めるのだから、きっと価値あるものに違いない」という認識に変化してきたのである。
 これを機に多額の寄付が集まり、ホームの経営も軌道に乗り始めた。ディケンズの記事はホームにとってまさしく幸運のプレゼントだった。しかしそれを得るにいたったのはマリーらが誠実な情熱を注ぎ続けたからである。
 しかしメアリーはがんにおかされ、64歳でこの世を去る。その後ホームは1871年に現在のテムズ河南岸のバタシーに移転。ビクトリア女王、そして後にエリザベス女王もパトロンになり、1883年には猫の受け入れも開始。ふたつの世界大戦も乗りこえ、現在にいたる。
 ごく普通の女性がキッチンの一画から始めた小さな取り組みは、今や動物保護の理想的な保護センターとして世界各国の手本となっている。150年もの間に、ここまでの成長を遂げるとはメアリーも想像していなかったに違いない。
 ただこの施設が存在し続けることは、逆に言えば、飼い主を失った犬や猫たちが存在し続けるということである、この施設がなくとも、犬や猫たちが家族の一員として暖かく迎えられ、幸せに暮らしていけることが理想だ。多くの犬たちを救った彼女の魂は、これからも時代を超えて受け継がれていくことだろう。