ペットロス

 イギリス政界の要人かつ重鎮であるハッタスリー卿は、すぐれたジャーナリストでもあります。卿が15年連れ添った雑種のバスターをなくし際に、デイリーメールに寄稿した記事は胸をうちます。

以下はMail Onlineより転載

バスターが死んだんだぞ

Mail Onlineより転載

 犬が死ぬということは、おそらく日常のささいなことであろうに、私はその大きな喪失感に耐えられず、身の置き場がなくなってしまう。
 私の元へ全速力で駆けてくるときの首輪のメダルのちりんちりんという音。風呂に入れた後の濡れた犬のにおい。30秒で食べる朝ごはんのボウルのかちゃかちゃいう音。シャワーを浴びる時間が少し長くなったとき、突然ぬっと入ってくる姿。タオルをとろうと手をのばしたときに、思いがけず彼の顔に水滴がかかったときの恨みがましい顔。雨そぶるピーク・ディストリクトに、彼に催促され連れ出されたときのひどい寒さ。彼のいびきで夜中に眼が覚めたり、出かけるときのハーネスの毎回の複雑な装着のめんどくさかったこと!

 しかし、叶うことなら私はまたもとのあの不便な生活に戻りたくてしょうがない。車の中ではいつも眠っていたが、ロンドンからダービーシャーに戻るとき、なじみの村の角っこをまがると、突然起きて歓喜の声をあげた。家に戻って一部屋一部屋においをかいだあと、階段の踊り場で窓の外をながめ、行く人々をながめていた。
 バスターと階段に座ってよくやるゲームがあった。ビスケットをひとつの手に隠し、バスターの前に差し出す。バスターは手でそっとどちらか入っているほうの私 の手をたたくのである。それはそれは優しい叩き方であった。ゲームはいつもバスターの勝利に終わるのであった。こんな小さな思い出がとても辛く胸を刺す。

 誰にとっても自分の犬は特別である。なので私は書かずにはいられないことだけ書留めよう。私のラップトップのコードにからまるバスターを見ない朝はなかった。暖炉の薪の匂いをひとつひとチェックしていくバスターの手伝いなしでは冬が始まらなかった。玄関にスーツケースを見つけると、その間に座りこんだ。まるでまだらのスーツケースがひとつ加わったように。もちろん、彼も一緒に行くつもりであることを明確に知らせるためである。
 客がバスターの席(だと彼がみなしている席)に座ると、客の横に激しくぴったり密着させて座っていた。猫やウサギや家畜とはうまくいかなかったが、人間は大好きであった。私の本の出版のときは、読者のおばあちゃんがおやつをもってきてくれるのを楽しみにしていた。決してノーと言ったことはなかった。講演のときは拍手のときだけ一緒に吠える。

 この10週間私は考え続けていた。私が彼の奴隷だったことはさておき、私と彼をつないでいたものは何であったのだろう。私は彼が自分の心の支えであることを楽しんでいた。そして彼も私のことを心の支えだとみじんも疑っていなかったその気持ちを賞賛する。彼は「希望」を放射していたのだ。
 毎朝食料ドアを開けると後ろに必ずバスターが立っていた。何かもらえると期待して。バスターのことを先天的楽天家と呼んでいたが、彼のことを毛皮を着た人間だという風にみなしたことはなかった。彼は犬である。人間のテーブルで物を与えたことはない。犬専用のベッドで寝かせた。犬として扱うことが彼に対する敬意である。バスターが犬であってくれることで十分である。それ以上彼に望むことはない。

 15年間彼の成長を見てきた。賢くなるのを見てきた。年老いていくのを見てきた。獣医は彼は天寿を全うするだろうと予測した。これ以上疲れて続けられなくなったときが逝くときだと。「そのときは彼はあなたに教えるよ。」と獣医は言った。そしてその通りになった。
 短くなった毎朝の散歩でさえもきつそうだった。朝ごはんもゆっくり食べると決めてしまったようだ。そして一旦横になるともう起き上がるつもりはなかった。最後の決断はバスターにとって一番言い良い方法に基づくものでなければならないが、私の安楽死の選択をひきのばしたいという気持ちとの戦いであった。

 ある朝 私は一瞬の苦悶のときを過ごした後、獣医に電話をかけた。獣医はすぐやってきた。バスターはブルーチーズのかけらを食べながら死んだ。普段は食べることを許されなかった、錠剤を包むときだけ口に入れられた大好物だったブルーチーズ。

 私の悲しみだけが特別だというつもりはない。どれだけ多くの家族が落胆と絶望に陥っているだろうか。ただ事実をここに述べさせて欲しい。人生の中でバスターが逝ってしまったことほど痛みを感じたことはなかった。そして人前で我も忘れて泣いて取り乱したこともなかった。
 一階の私の仕事部屋の窓から、人々が日々の生活を送っているのをながめているとき、驚きとともに怒りを覚える。なぜそうやって普通どおりの生活を送っているように振舞っているんだ。時計を止めろ。バスターが死んだんだぞ。

 犬を過小評価するなかれ。彼は永遠に続く財産を残してくれた。彼が与えてくれた喜びの思い出である。バスターにお手やおすわり、ごろり、握手、死んだまねなど教えるつもりはなかったし、彼も新聞をくわえてもってくるようなまねもしなかった。しかし、彼は ―たいしたことではなかったのかもしれないが、私の人生を変えた。バスターは私の人生は犬なしでは考えられないことを教えてくれた。

 またレスキューセンターへ行って、雑種の犬を家に連れてかえることは、バスターへの裏切りのような気になった時期もあったが、10週間後また私は探し始めた。新しい犬はバスターの代わりではない。誰もバスターの代わりにはなれない。彼の後継者はまったく別の犬である。ただしその犬はバスターが輝きをもって示してくれた「犬を所有することの至上の喜び」を再び証明してくれるであろう。

 日本と状況が違うのは「安楽死」の概念でしょう。日本人にとってはとても抵抗感があり、辛い選択肢です。しかし、ペットにとって一番良いと思われる状況を判断できるのは飼い主をおいて他にありません。
 ただイギリスでは「安楽死」はかなり一般的なので、「ペットのため」と言うよりも、「自分がペットの苦しむところを見たくないのではやく始末したい」という気持とかぶさってしまうことがあるので要注意です。信頼の置ける獣医と相談しながら見送ってあげたいものです。

 以下は、24年来のお付き合いになる獣医師ベンジャミン先生に、手紙で安楽死についてお聞きした際のご返事です。

ベンジャミン先生からの手紙

 「安楽死」についてのご質問ですが、非常に大きな問題です。個人によって見方も状況も違います。何時間も何時間も討論し続けることができるでしょう。ペットとしての動物は私たちに全面的に依存しています。食物、水、寝床、暖、仲間、保護、愛、そして病気になったときのケア。そして彼らの最後の日々は飼い主の精一杯の優しさと愛情が必要です。
 血液検査技術の進歩により、獣医は動物の残された時間をほぼ正確に推測することができるようになりました。確かに自然にまかせるという選択もあり、これが一番簡単な方法でしょう。安楽死という選択をしなくてもいいからです。また文化的、宗教的な観点から安楽死以外は考えられない人たちもいるでしょう。
 私は、この非常に個人的なことがらに関して、強要すべきではないが、たいていの飼い主より何千倍もの経験をもってしてある程度の方向性を指し示す義務が、飼い主とペット両方のために、あると思っています。
 動物にとって不必要な苦しみは何の得にもなりません。自由意志を与えられ、苦しみが浄化の過程だと考えられたり、天国での良い場所を約束する悔い改めの苦行としてみなされたりする人間の場合とまったく異なります。動物はいかなる状況に置かれても苦しみを良いことだとか、望ましいことだと思うことは決してありません。ただただ苦しみのみです。自然界では傷ついたリ病気になった動物はそんなに長く苦しむことはありません。その前に他の動物に食べられてしまうからです。

 安楽死を「自分の決定がこの動物の命を絶つ」というネガティブなものではなく、長引く無用な苦しみを愛する動物に味あわせてはならないという愛情の行為であるというポジティブなものとしてとらえてみてはどうでしょうか。

 その決定をなかなかできない人たちがいます。私が見た限りでは人間の医師が自分たちのペットを安楽死させることが困難なようです。おそらく彼らは人間の臨終のときと比べてしまうのでしょう。  私は動物の立場にたって考えることにしています。飼い主にとって苦しい選択である「安楽死」は、ペットを苦しみや痛みから解放することができる救いなのです。致死量の麻酔薬を投入する痛みのないものです。不要な痛みを取り去って見送ることができることは、私たちの恵みの特権だと考えています。
 自然ではないと反論する人があるかもしれません。自然に死なせるということは、必ずしも早く痛みのないものではありません。ときとして残酷にゆっくり 、呼吸困難や痙攣を起こしたりと悶絶の苦しみを味わうこともあります。安楽死 Euthanasia―ギリシャ語で「良い死」という意味をもう一度考えてみてください。

 お役にたつかどうかわかりませんが、この複雑な問題をできるだけ理にかなうような言葉にしようと最善の努力をしました。私の写真を使用されたいとのご希望に関してですが、私の人生の野望は「絶対有名にならないこと」です。しかし、どうぞ使ってください。
 最後にあなたの猫イランの安楽死のときの記録を見直してみました。私は断言します。あなたはイランのために正しい決定を、正しい時に、そして正しい理由で下したということにまったく疑いの余地はないことを。

 人間のほうの心のケアですが、残念ながら魔法の治療法はありません。人によって状況は違うけれど、私の場合も違うけれど、ゆっくりと悲しみから抜け出る道をみつけ、心の中の平安な場所にたどりつけることを祈っています。

 以下の手紙は、何年か前にニュースになりました。4歳のメレディスは家族だった14歳の愛犬アビーを失くし、悲嘆にくれていました。そんなメレディスを見て、両親は神様に手紙を書いてはどうかと提案したのです。メレディスは手紙を書いてポストに入れました。

親愛なる神様

 どうか私の犬の面倒をみてください。アビーは昨日死にました。今あなたのいる天国にいるはずです。彼女がいなくてとてもさびしいです。アビーは最後は病気になってしまいましたが、私の犬としてくださってありがとうございました。アビーと遊んでください。アビーはボール遊びと泳ぐのが好きです。神様がアビーと会ったとき、私の犬だとわかるようにアビーの写真を送ります。アビーがいなくて本当にさびしくさびしくてたまりません。

愛をこめて メレディスより

 メレディスはママに神様が手紙をうけとったかどうか尋ねました。ママが言えることはイエスだけでした。しかし数日後、金の包装紙に包まれたプレゼントがメレディスのもとへ届いたのです。中に入っていたのは"When a pet Dies"の本と一通の手紙でした。

親愛なるメレディス

 アビーは無事に天国へ着きました。あなたが写真を送ってくれたおかげですぐアビーだとわかり、大変助かりました。アビーはここではもう病気ではありません。アビーの魂は私と一緒にここにいます。あなたの心の中にずっといるのと同じように。アビーはあなたの犬だったことをとても幸せに思っています。
 天国では身体は必要ないので送ってくれた写真を入れておくポケットがありません。ですから、あなたがアビーのことをずっと覚えてくれるようにと送った本の中に写真を返しておきます。

 美しいお手紙をありがとう。そして手紙を書くのを手伝ってくれたあなたのお母さんにもお礼を言います。何と素晴らしいお母さんでしょう。あなたのために私が特別に選んだお母さんですよ。私の祝福を毎日送ります。そして私が愛していることを忘れないように。私は愛があるところにいつでもいます。

愛をこめて 神より

手紙を受け取った郵便屋さんが、メレディスに返事を出したそうです。